FJRエンジンの想い出 ・ その5

   「鳥打ち込み試験 (バードストライクテスト) 」


  
 

○●○ 該当年代 : 昭和54年  ○●○

 

私の一番好きな航空機の姿は離着陸の時である。離陸の時は機体はエンジンもパイロットも客室乗務員も一刻も速く地球の引力から離れて自由に大空に浮くことを願っているだろうし、着陸の時はその巨体が接地して地上に静かに留まることを念じているはずである。一つの目的に対して機械も人間も全てが全力を出し切るこの短い時間が航空機の姿をより私の眼に焼き付けているのかも知れない。

しかし、この離着陸の時が最も危険であることは航空機の過去の事故例が証明している。その安全性を高めるために航空業界ではたゆまぬ努力を積み上げその回避に懸命である。しかし、技術的、人間的な部分では可能であっても自然の営みが絡む突発的な事象については的確な対策は難しい。雷や乱気流などもその例であるが、離着陸時の顕著な例がエンジンが鳥を吸い込む不適合 (不具合のことを現在は 「不適合」 と表現する) であろう。

鳥は比較的低低い高度で飛んでおり、吸い込む時期も離着陸に重大なタイミングのため面倒な問題を抱えるのである。鳥を吸い込むとエンジンは損傷し、その程度によっては外板を突き破って機体に二次的な損傷を与える可能性は充分に考えられる。現在では例えエンジンが鳥を吸い込んでも即飛行不可能という状態にはならないだろうが、離陸の場合は乗客の安全上引き返し着陸を選ぶことになるのは必然である。
単的に言えばこの対策は簡単である。それは飛行場から鳥たちを追い出すことである。しかし、鳥たちの生態系を変えることが至難の技であることを誰でも知っている。飛行場の管理者はそれぞれが独自の対策を講じているようだが、鳥たちを追い払うのに有効な手段を見つけたわけではない。

それならば避けがたい不適合に対してエンジン側でしかるべき対策を講じようとするのが当然である。鳥を吸い込んでもエンジン部品の飛散を防ぎ、最低限の推力を維持できるようにエンジンを標準化して機体の安全を安定させることが必要になったわけである。その一例としては損傷を受けたファンブレードがエンジンから飛び出さないようにファンブレードの外側にコンテンメイト・バンドと呼ばれる補強材が取り付けられている。
そのような対策が実際に有効であることを確認するために 「鳥打ち込み試験 (バードストライクテスト) 」 が義務付けられている。

 

これはエンジンを地上で最大出力で運転し、そのエンジン入口へ機速に応じた鳥を打ち込む。鳥をいわば大型の空気銃で打ち込むのである。その結果が規定値内にあることを確認する試験であり、実用化されているエンジンは全てこの試験をクリアされているはずである。

FJR710エンジンの鳥打ち込み試験はおそらくは日本で初めて宮城県角田市の 「航空宇宙技術研究所・角田支所」 の野外運転場で実施された。私もその試験ではエンジンのオペレーターとして運転に携わったので薄れた記憶を呼び戻して整理してみよう。

この試験は運輸省航空局が制定する耐空性審査要領の発動機で規定されている。 概要は下記の通りである。

1.4ポンドの鳥を1羽打ち込む

   打ち込む鳥の数はエンジンの空気取り入れ口面積で決まる

   打ち込み速度は上昇最大速度で、FJR710エンジンでは200〜220ノット
    (103〜113m/sec) 程度である

   打ち込み後のエンジンへの要求としては、次の事態を生じてはならない。
     a. 25%以上の継続的な出力または推力の低下を生じてはならない
     b. 火災
     c. ケーシングを貫通する破裂
     d. 設計荷重より大きな荷重の発生
     e. エンジンを停止させる機能が失われないこと

   打ち込む方法は、エンジンで最も影響を受けやすい部分をねらう

   打ち込むレーティングは最大出力時

2.高速度カメラ (4000コマ/秒) で撮影する

以上が概要であるが記憶が定かでないデータもあるので参考にして戴きたい。

 

この試験は準備が大変、何しろやり直しが効かない一発勝負だから失敗は許されない。
準備の模様を覗いて見よう。


 ▲▼  鳥打ち込み機  ▼▲

これはいわば長い砲身を持った空気銃式の大砲である。圧搾空気のタンクを数基持ち、空気の力で弾になる鳥を撃ち出すのである。エンジン・インテークから砲身先端までの距離は忘れたがおおよそ二メートルくらいであったであろうか。位置決めするために試射を繰り返す。鳥で試射は出来ないので同等の重さのゼラチンを打っていた。砲身の前方に鉄板の的を設け試射するのである。


 ▲▼  高速度カメラ  ▼▲

この試験の証拠となるデータは高速カメラによる記録である。前述したが毎秒4,000コマの高速撮影で撮影しないと鳥が打ち込まれた瞬間が確認できないのである。通常の映画が毎秒16コマだから如何に高速かが判るであろう。それもあっという間の撮影なのである。高速で短時間の撮影だから打ち込みの瞬間と少しでも時間差があれば全くデータにならないので打ち込み機とのシーケンスが重要で調整には長い時間を掛けていたようだ。

 ▲▼  鳥たち  ▼▲

鳥をエンジンに打ち込むなんて動物愛好家から怒られるかも知れないが鳥たちも可哀想である。スタッフの誰かが近くの養鶏場へ行って要求値に合った鳥を数羽買って飼っておく。ただし、鳥の体重管理が必要である。耐空性審査要領で要求されている打ち込み時の鳥の重さを守らなければならないが、あまり鳥を太らせるとエンジンへのダメージも大きくなるから鳥の重さを軽くしないように、また重くしないように鳥の体重を管理するのである。
打ち込み本番の時は弾倉も狭いので鳥には静かになって貰うのだが手荒なことをしたのか、何か薬品を使ったのかは私は知らない。

 

やっと本番の日がやって来た。心配した天気も良い。何時頃運転を開始したかは忘れたが11時頃だったろう。
このような歴史的な試験に従事しそれも栄えあるオペレーターとしてエンジンを運転できるなんて男冥利につきるが反面緊張の度合いがだんだんと高まっていくのが自分でも判る。
運転そのものは難しい操作では無いが私が一番恐れたのは緊張のあまり予定外のスロットル・レバー操作をしないかとの心配であった。

試験スケジュールではエンジンをスタート、アイドルで計器確認して静定後計測。スロットル・レバーをゆっくり進めて最大出力で静定、計測。終了後、鳥を打ち込む。打ち込んだ後、直ちにスロットル・レバーをアイドルに急減速する、というのが運転予定である。私の心配を運転総括者である航技研のN主任研究官にも伝えたところ、  「それでは、私が貴方の肩を叩いたら直ちにスロットル・レバーを引いて回転数をアイドルに戻してください」 との助言を得た。角田支所における環境試験ではこのN主任研究官には大変お世話になったが、この時も心のゆとりを得たようで今でも感謝している。

この試験ではわが国の航空界で名のある人もたくさん見学していたようだが本番のエンジン・スタートも順調でいよいよ鳥を打ち込む瞬間を迎えた。
FJR710エンジンを最高出力にセット、エンジン・パラメーターに異常なし。打ち込み装置、その他の監視装置の指示に異常なし。
 "鳥打ち込み10秒前" 。エンジンの快調なバズ騒音 (ファンブレードの先端が音速を越えると発生する特有な回転音) を聞きながらN主任研究官のカウントダウンが始まる。
 "・・・・5,4,3,2,1.発射" 。瞬間、エンジンから鈍い音がしたようだ。同時に肩を叩かれ、瞬時にスロットル・レバーをアイドル位置に戻す。計器に特に異常はない。やっとエンジンを見る。後部から白煙が少し見えるのはオイル系統が損傷を受けたのであろうか。アイドルで静定後、エンジン停止。停止後のエンジンも特に異常はないようだ。ホッとして運転指揮されたN主任研究官に "有難うございました" と安堵の気持ちを伝えた。

エンジンの周りでは多くの人がエンジン・インテークを覗いている。さすが粘っこい材質を誇るチタン製のファンブレードもひん曲がっている。

 

試験が終わると野外運転場にまた静寂が戻った。

手順を間違えることなく運転できたことに気も緩んだが、ただ何となく気が重いことがある。それはいくら試験と言っても利用された鳥たちを忘れることはできない。後めたい気持ちもあり当分食事のおかずには鳥料理を控えるよう民宿のおばちゃんに頼んだが、籠の中で元気に餌を食べていた鳥たちの姿を想い出すと申し訳ないような気もする。

打ち込まれファンブレードでスライスされた鳥の残骸がどのように飛んでいくのかは想像できなかったが実際にはエンジン架台後方のかなりの面積に鶏肉が飛散していた。
記憶が薄れてしまったが試験はお昼前に実施されたはずなので食事を前に飛散したものを片づけるのが誰もが億劫であったに違いない。だが、ここで不思議なことが起こった。

この野外運転場の周囲は樹木のある小高い丘に囲まれているのだがそのあたりから沢山の(からす)が飛んできてその鶏肉を掃除してくれたのにはびっくりした。誰もがその様子を息を呑んで見守っていた。

無事に試験も終わった。自分の仕事をやり終えた満足感は生涯の中で忘れることのできない感激であった。だが己だけの成果ではない。この試験に携わった全員の労苦を忘れてはならない。全員が一つの目的に対して頑張った結果が一つの歴史を作ったのであろう。

こうした歴史的な試験に私が従事できたことは永いジェットエンジンとの付き合いの中でも特筆されることであった。

その日は昭和54年 (1979) 12月16日・日曜日・天候晴れ。
くしくも私の40歳の誕生日であった。


● この項終わり ●

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